2003年10月7日火曜日

写真を撮らなくなって久しい

少なくとも私にとって、撮る事は何かの代用という様な気がする。
それを内省する前にひとまず、何故私が写真を撮る様になったかを振り返ってみる。
  私が写真を意識して撮りだしたのは、高校の頃だった。
 いや、意識せずに、と言った方が近いだろう。
 部活に入り、その周りの友人が皆写真を撮る環境で、当然ながら私もカメラを買い、写真を撮りまくった。
 その後写真学校に入った時以上にフィルムを湯水の様に使い、放課後はほぼ毎日現像とプリントをして過ごしていた。
 正直、その時の経験が暗室作業では一番役に立っていた様な気がする。
 高校を卒業して、その先何をするのか何も考えていなかった私は、流される様に大学受験に挑戦したが、当然ながらいい加減な気持ちでは受かるはずもなかった。
 浪人中、予備校に通う事は通ったが、その間も予備校を抜け出しては写真を撮りに彷徨い歩いていた。
 写真を撮りたいから、撮る。
 お金を出してくれた親には申し訳ない話ではあるが、その後の私の方向性が決まったその時間は非常に有益だったと今では言える。
 ああ、撮り続けたいな。
 そう感じると同時に未熟さも感じた私は写真の専門学校に入る事にした。
 そこで習った事を一言で言うと、“写真家になるのではなく、写真を撮る生き方をする”ということだった。
 そもそも写真家になるのは簡単だ。写真家としての名刺を作ればいい。
 しかし、写真を撮る生き方をするのは難しい。
 如何に難しいかは今の私自身が物語っている。
 が、専門学校での経験は一番重要な考え方が今の仕事にも役に立っている。

2003年10月5日日曜日

"iBlog"を試す

 今まで登録してはいたものの、ろくに使用していなかった.Mac だが、専用バージョンのiBlog が期間限定で公開されたので、俄然興味が湧いてきた。
 今ネットワークゲームにログインしているにもかかわらず、そっちのけで色々試しているところである。
 使える様であれば、1年更新の止まった私のWebサイトを.Macへの移行し、これに切り替えて続けていこうと思う。

2003年6月3日火曜日

Cat Lover宣言


私は元々動物好きで、“犬と猫どっちが好き?”と訊かれると両方という感じだった。
しかし、ひょんな事から猫を飼い始めてからは、明らかに猫好き度が格段に上がってきた。
ペットを飼っている人は皆うちのペットが可愛いと口を揃えて言うが、どう見ても同じ様なものだ。
あえて私もここでハッキリ言っておこう。
うちの猫達が一番可愛い。

2002年7月13日土曜日

祭りの夜


 毎年の様に、佐原の祭りに来ている。
最初は写真学校のゼミでの授業だったのだが、妙に居心地がいいのか、今年も同じ場所で酒を飲む。
正直に言って実家のある町の祭りや、今住んでいる町の祭りよりもここに来ている様な気がする。
段々と来る度に写真を撮る事よりも、ただここに来る事だけが主眼となってきている。
昼頃に佐原に着き、同じ店で蕎麦をすすり、申し訳程度の写真を撮り、同じ銭湯で風呂につかり、日暮れになると同じ酒屋の前で酒を飲みつつ山車を眺める。
非常にゆっくりとした雰囲気は他では見られない気がする。
だからこそ、ここが好きなのだ。

2002年7月6日土曜日

走る事

 「自転車に乗って何か変りました?」
自転車に乗始め、同じ趣味を持つ人たちと走り初めてしばらくの頃、そう訊かれた事があった。
その時は、余り考えずに“変っていない”と答えた。
しかし、それ以来何度か再び考える事がある。
滝の様な汗を流しながら、ただただ坂を登ってゆく。
自転車を趣味とする前の休日の5時過ぎというのは寝る時間であって起きる時間じゃなかった。
稼いだ高さを一気に下り、次の登りにさしかかる前に走りながらボトルから水を飲む。
天気が良くても何も用事が無ければ外に出る事はなかった。
峠を登り、そして下る。
確かに私は変った。

1999年4月25日日曜日


 近頃、何となく空を見上げていることが多い。
別に大したことではないが、こんなに電線が多かったかとふと思う。
いつの間にか増えたのだろうか。
それとも、ただ気が付かなかったのだろうか。
今までそれは私にとってあまりにも自然な事だったのが、微妙な心境の変化があった為にその景色の捉え方も変わったのだろうか。
何と私はそれを自然なものと考えていたのだろう?
あるがままが自然なら、その景色は私が物心付いたときから既にあった“自然”なものだ。
何らかの形で人の手が触れていないものを見付けることがまず出来ない今では、それが自然となったのだろうか。

1998年3月5日木曜日

長い隙間


 久々にフィルムを現像する。
ただでさえ撮影本数の少ない私だが、最近めっきり撮らなくなった。
おかげでコンタクトプリントは日記の様だ。
コマを見返すとその時のことを思い出すと同時に、その時間の開きに苦笑する。
文章に行間を読むという言葉があるように、写真にもコンタクトプリントのコマ間を見るという言葉がある。
私のコマ間は、余りにも長い。