少なくとも私にとって、撮る事は何かの代用という様な気がする。
それを内省する前にひとまず、何故私が写真を撮る様になったかを振り返ってみる。
私が写真を意識して撮りだしたのは、高校の頃だった。
いや、意識せずに、と言った方が近いだろう。
部活に入り、その周りの友人が皆写真を撮る環境で、当然ながら私もカメラを買い、写真を撮りまくった。
その後写真学校に入った時以上にフィルムを湯水の様に使い、放課後はほぼ毎日現像とプリントをして過ごしていた。
正直、その時の経験が暗室作業では一番役に立っていた様な気がする。
高校を卒業して、その先何をするのか何も考えていなかった私は、流される様に大学受験に挑戦したが、当然ながらいい加減な気持ちでは受かるはずもなかった。
浪人中、予備校に通う事は通ったが、その間も予備校を抜け出しては写真を撮りに彷徨い歩いていた。
写真を撮りたいから、撮る。
お金を出してくれた親には申し訳ない話ではあるが、その後の私の方向性が決まったその時間は非常に有益だったと今では言える。
ああ、撮り続けたいな。
そう感じると同時に未熟さも感じた私は写真の専門学校に入る事にした。
そこで習った事を一言で言うと、“写真家になるのではなく、写真を撮る生き方をする”ということだった。
そもそも写真家になるのは簡単だ。写真家としての名刺を作ればいい。
しかし、写真を撮る生き方をするのは難しい。
如何に難しいかは今の私自身が物語っている。
が、専門学校での経験は一番重要な考え方が今の仕事にも役に立っている。